MATSUI Yoshihiko’s Film “THE NOISY REQUIEM” Digitally remastered

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「事件」にしたかったのは、実は「日本の本質」側なのではないか

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2004年5月7日、東京中野にあるミニシアター「中野武蔵野ホール」が閉館した。 同館最終上映21時からのプログラムは『追悼のざわめき』。 80席に満たない劇場が発行した入場整理券は200枚を超えた。 異例の“ダブルレイトショー”。最終回、上映開始は24時。終映は26時30分。 最終上映が終わると、出口に待ち構えていた監督の松井良彦が、観客ひとりひとりと握手を交わした。 彼を取り囲む人垣は27時を過ぎても消えることはなかった。

1988年6月に初公開されて以来、『追悼のざわめき』は毎年のようにこの劇場で上映されてきた。

公開に先立つ試写会では、賛否が激しく対立した。 小人症の主人公たち、兄にレイプされ死にいたる少女、その妹の腐乱死体をむさぼり食う兄、 舞台は、猛々しいヤクザが支配する大阪のアンタッチャブルな寄せ場「釜が崎」・・・、 あからさまな差別や偏見にまみれ、それぞれの閉ざされた苦境の中で懸命に生きようとする登場人物たちの 絶望と破滅が描かれていた。

85年のトリノ国際映画祭に出品を予定されながら、イタリア税関でストップ。 86年には香港での日本映画祭に招待されながらも、同じく税関ストップ。

映画誌「イメージフォーラム」(1988.6月号)では、 おすぎが「とにかく汚らしい」と吐き捨てるようにののしる。 同人誌「シネマ・エデン」では、本作を19回見た編集者・三谷みどりが 「私は『追悼のざわめき』になりたい。」という表題で恍惚としたオマージュを書きつづる。

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超満員の劇場では、開映後20分を過ぎたあたりから、気分を悪くした観客が続々と席を立つ。  「最低!」と「最高!」、交錯する反響が伝説のカルトムービーを産み出した。

撮影開始から30年、公開から24年聖地「中野武蔵野ホール」の閉館から10年…(2014年現在)。 かつて、『追悼のざわめき』が描いた寓話の世界が、今、現実のものとなっている。 < 意味不明な残虐犯罪の続発、親殺し、子殺し、兄妹殺し…。 「くりいむレモン」「僕は妹に恋をする」etc、当たり前のように描かれる近親相姦…。

時代が「追悼のざわめき」に追いついてきた。「追悼のざわめき」は過去のものではない。 今の現実に潜むやみがたい狂気へのレクイエム、究極のハードコア・ファンタジーとして甦るのだ。

バージョンは、傷だらけの16ミリフィルムではなく、ニュープリントからのHDテレシネ。 音響はオリジナル音源からのデジタルリマスター。さらに、本作に熱烈な共感を寄せていた ミュージシャン・上田現が書き下ろした楽曲が追加される。 鮮烈な描写が、暴力的なほど鮮明なハイビジョン画像とデジタル音響で襲いかかる。

ここに「伝説」の新たな1ページが開かれるのだ。