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聞き手> 『追悼のざわめき』は、天王寺や釜ヶ崎で撮影をしています。その理由をあらためて教えてください。

松井> 私は関西で生まれました。関西は他の地域よりも、在日の人や被差別部落の人が多く住んでいます。ですから、小学校の頃からクラスには、いつも何人かの在日の子や被差別部落の子がいました。私は彼らと仲が良かったので、いつも楽しく遊んでいました。すると、私が彼らと遊んだあと、周りの人から「なんであの子らと遊ぶの?」って言われましたね。私は、それは違うやろ、とずっと思いつづけていました。

なので、私だけかもしれませんが、差別や偏見、疎外の原因は、周囲から植えつけられるものなんだろうなぁ、と思いました。それが私に彼らへの関心と、差別への疑問をつのらせたのです。差別している側もされている側も、みんな同じ人間なんだと。なにも違わないんだと。でも、これらは関西の長い歴史と風土の中で生まれた、根深い問題なんだろうと、私は痛切に感じていました。悲しいかな、これが現実なんだと。

そういう差別や偏見、疎外の代名詞のようにされているのが大阪の釜ヶ崎なんです。でも、彼らも私たちも同じ人間なのです。そういった想いを、私はずうっと持ちつづけていたので、自然に釜ヶ崎を舞台にした映画を創りたいという本能がわきあがってきました。

当時、私は東京に住んでいたので、山谷や横浜の寿町へも取材をしに行きました。でも、何かが足りないと感じました。それで釜ヶ崎に行ったら、「ここや!」と確信したのです。

聞き手> その釜ヶ崎でのロケ中に起こったエピソードを聞かせてください。

松井> つらいことも、おかしなこともあったので、両方ともお話しします。

撮影は1983~84年。時代は、バブルでした。若い労働者は金回りが良さそうでしたが、それも40代まで。50代を過ぎると体力がなくなるので、アブレてましたね。ですから、血を流しているシーンを撮影していた時、「おまえら、釜ヶ崎をなめてんのか」と仕事にアブレて苛立っている男の人が物を投げつけてきたことがありました。まぁ、その気持ち、分からなくはないのですが…。なんとも、…複雑な思いを抱かされました。

天王寺公園の噴水前で、主人公の誠が傷痍軍人たちを暴行するシーンがありますよね。そのシーンでは、誰かが「傷痍軍人が倒れている」と通報したらしく、警官が来ました(苦笑)。で、スタッフが「映画の撮影で」というと、「そうか、頑張れよ」と。それで終わりました。いや、終わりというか、その警官が「なんか、出番ないの?」と聞いてきたのです。「誰かを取り押さえるとか? 誰かを追いかけるとか?」と。で、スタッフが「ないんです」と言うと、「そうか、警官のシーンはないんか…。おれ、普段ジーパンはいてるから、なんか出番あったら通行人で…」と言っていたようです(笑)。後日、そのことをスタッフから聞いて、これやから大阪の警察は、グリコ・森永の犯人を取り逃がすんやな、と思いましたね(苦笑)。

でも、なんだかんだ言いながらも、大阪っていいなぁと思います。

この映画のロケを思うと、必ず浮かんでくるのは、傷痍軍人たちが酒盛りをするうどん屋さんです。あれは通天閣の南東側、天王寺公園寄りにあった映画館の近くのお店です。今もあるかどうかは分かりませんが、当時、とてもいい雰囲気を出していましたね。都はるみがよく似合う、実に心地いい場所で、気持ちがなごむというか、馴染むところでしたね。



さらにコア&レアな話が続きます。乞う、ご期待!