“キング・オブ・アンダーグラウンド”。
「この名称は、松井良彦監督が欧米の取材を受けた際に、しばしば使われているフレーズです。また、山崎春美さんにも、我々スタッフは同様の想いを抱いていますので、今回のこの対談には、このネーミングが相応しいと思い、そのようにさせていただきました。」(当サイト・スタッフより)

そのお二人の対談。第2回。お楽しみください。

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山崎> 寺山さんとはどういうところで…。

松井> ファンレターを書いたんですよ。『田園に死す』を観て。それで、修学旅行で東京に出た時に、道玄坂の天井桟敷館に遊びに行って、ちょっとだけお話ししたんです。それで、23才の時に『錆びた缶空』を創って、寺山さんはPFFの審査員ではなかったんですが、入選作を見て大林(宣彦)さんとパンフレット用に対談すると。で、ぴあの人に呼ばれて行って、お話をしたら「あの時の少年か。で、なんでいるの?」と訊かれて、「『錆びた缶空』ってホモの映画、あれ、僕が創ったんです」って言ったら、「そう。面白いね。へー」と言ってくれたんです。

山崎> あの人はすごい。僕は一度だけお会いしてる、死ぬ前の年。清順さんとかシネマ・プラセットとかやってた奴がコンタクトしてくれて。行ったら”HEAVEN”とか読んでくれてて「これはグラフィックデザイナーの競演だね」って言ってくれて、ちゃんとわかってくれてるんで、びっくりしましたね。

松井> 実は、僕も読んでました。

山崎> えぇ! そうですか! ああ、ありがとうございます(笑)

松井> “Jam”から読んでます。実は、それらの本に山崎さんが絡んでるって知らなかったんですよ。で、先日、ウィキペディアを見たら「Jam?HEAVEN? あっ、懐かしい」と思って。あの頃、監督仲間のあいだで、回し読みをしてました。金なかったんで。面白いなぁって。

山崎> もう一号出せてたら寺山さんを取材したのが載ったはずだったんですね。その取材で行ったんだけど残念企画になっちゃって。最後はもうヤバかって、社長がパクられて(笑)。ポルノですが、見せしめ逮捕でした。この社長も腹の据わった傑物でしたが、若くして亡くなりました。あの頃は色んな節目が変わる頃だったんだな、と今となったら思うし。監督に読んでいて頂いて嬉しいし光栄です。名前もない無記名原稿がいっぱいあり過ぎて、まぁ数人でやってたんですが、その中の中心的だったひとり(隅田川乱一=美澤真之介)が、40代で17年前に亡くなったんですが、寺山さんも今考えたら、46歳とか、めちゃめちゃ若く死んじゃってるんですよね。あの頃はそんなもんかな、と思ってたけど。僕が子供だっただけで。唐さんの状況劇場とかがやってること格好いいし、派手だから言葉とかも好きだったんですけど、今こうやって見直してみると、別に唐さんが悪いとかじゃなくて、存在の大きさが突出し過ぎてるんですね、寺山さんは。あらゆるところに影響を及ぼしているというか。いろんなところにまで顔を出していて。
それでね、この映画『追悼のざわめき』で僕が一番好きなのが、僕のフェチなのかなあ、上から撮ってて、どこの電車か国鉄かな、走ってて、その真横でヤッてて。

松井> あぁ、オープニング早々の、犯罪のシーンですね。

山崎> 昔、僕も高校生くらいの時は、性的にも盛んな頃なんで…、ああいう隠れ場がいっぱいありましたよね(笑)。何と言ったらいいのか、上からは撮れるんだろうけど、みたいな、あぁいうちょっと暗がりなんだけど、すぐ隣りはパブリックで、という箇所がいっぱいあった。すごくフォトジェニックというのか、写真に撮りたくなるような、そんな感じのエアポケットな空間がいっぱい。寺山さんがよく徘徊して職質されたり(笑)、そういうところ、東京の酒場近くとか。大阪にもすごい色々ありましたよね。

松井> あのシーンは、ひとつの画面の中に、日常生活と犯罪を一緒に入れたいと思ったんです。「一歩間違えるとこうだよ」と。

山崎> 撮影はだいたい、あの辺、通天閣が良く見えるところ…。

松井> はい。新今宮駅の横のゴミ捨て場みたいなところで撮ったんです。

山崎> あの頃の大阪は、まだ、色んな所があったんやなぁ。

松井> 今はもう区画整理されてるんで、なかなか。

山崎> むずかしいでしょうね。僕は昔、かなり若い頃に、飛田新地(遊郭)に行ったら中学生の制服着た男の子に「まぁまぁまぁまぁ」ってやり手ババアが寄ってったら「あ、行きよった」(笑)なんてのを見たことがある。

松井> それは、…なんとも。

山崎> (松井さんは)西成に住んでいた、というわけではないんですよね。

松井> その当時は東京に住んでて、いつか関西で映画撮りたいなぁと思って。一番印象にあるのが釜ヶ崎なんで、それでまぁ創ったろうと。東京に住んでたんで山谷とか横浜の寿町とかに取材には行ったりしたんですけど、なんかパワーっていうのか、なんか魅力がなかったんですよ。それで釜ヶ崎を取材したら「こら、おもろいなぁ」って。

山崎> なんですかね。なんですかね、その魅力って。

松井> 街…。街の見えない力、とでもいうのですかね。

山崎> 僕も言葉にうまくできないんですよ。関西弁が飛び交ってるとかは、そらそうだろうし、確かに寿町とかは標準語やけど…。
今年の8月に、もう取り壊しになるか、ならんか分からんけれど、寿町のドヤ街に櫓舞台を組んでやるライブに出たんですよ。ずいぶん前、それこそ「追悼のざわめき」撮ってるような頃、83、4年からやってるイベントで、フリーライブの。渚よう子のステージに飛び入りする形で、やったんです。普通360度っていっても前後左右でしょ、舞台下から見てる人がいるのは当然で、そこにたくさんスズナリなんだけど、向かいの建物の階上とかベランダ、横や背後の窓から見てる人もいて、すごい面白かったんです。反応もすごかったんだけれど。これがもし関西やったら、もう一転がりしそうな、それが関東だと、そこまではなくて、どっかで止まるんやな、という感覚がありましたね。そこは、なんだろ。なんともいえないんだな。

松井> かつて大阪の維新派が東京で初公演をされたときも…、維新派は言うまでもなく良いんだけれど、東京独特のなんか、こう目に見えない力というか、空気というか、それがなぁ、…でしたね。大阪で観たときの方が、格段に突き抜けていた印象を受けましたね。

山崎> そうだ、クレジットに維新派の松本雄吉さんが出てましたね、声で。どこに出てたんやと思ったら「声」やって(笑)。

松井> そうです。そうです。声で。

山崎> 松本さんって確かあの辺ですね。自分の家の地下から(戦争中の空爆で)不発爆弾かなんかが見つかって。

松井> (笑)爆弾のことは知りませんが。あの頃の松本さんは堺ですね、浅香山だったような。うん。あの辺です。で、この映画撮る時、ほんとに予算もないし、色々不備だったんですけど、役者探すんだったら関西の演劇で一番力ある人は誰だって思って、当時の、ぴあだったか、Q(ぴあ関西版の前身)だったか情報誌に行ったんですよ。そしたら演劇担当の人が「そら維新派の松本雄吉さんでしょう」と。で、西瓜を持って松本さんの所に。

山崎> スイカ…。

松井> はい。西瓜。で、松本さんには台本を前に送ってたんで、「おもろいこと考えてるなぁ」とか言われて。僕が「役者を紹介してください」と言ったら、「あぁ、じゃ、私が脚本を読んだイメージで」って順番に教えていただいて、そしたら傷痍軍人役の白藤茜さんや、いろんな劇団の人を紹介してもらいました。

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山崎> 白虎社も。

松井> 白虎社もそうですね。他の劇団も「松本さんの紹介か、そしたら断れんよな(笑)」って出てくれたんです。

山崎> ギャラもそんなに払えないし、作るのが精いっぱいでしょう。ただ、僕が見てて、こう撮りたいっていうのが、すごいよく分かるんですよね、見てて。

松井> へぇ。分かりますか?

山崎> 分かります。あぁ、こういうのが撮りたいんだろうなぁと。で、今はもっとこう切り口とかが違うし、黒沢清さんだって昔の見たら全然違うんだから当たり前とはいえ、それが伝わるというのが、なかなかなんともいえんところですね、そこが。あの、わかるなぁ、という感じがあるんです。うまいこと表現できない…。二つ僕の方が下ですけど…。

松井> ほぼ同世代ですよ。

山崎> あの頃の感じ、独特のなんともいえない、しかもあの頃、韓国というのは普通の日本人やってて、関係なかったら見えないんですよね。シャットアウトというのか自主規制もあると思うけれども。今、面白いのは朴槿恵と安倍とになってから全然会わなかったじゃないですか。でも、彼女は彼女のお父さんが全然違うでしょ。今の韓国を作ったような人ですよね。まだあの人、人気ありますよね、女性大統領にしたのは、いいんだけれどね。日本人が距離を置いて見ていると、まぁ、こういうヒドい、現代の…ネット見ないんでね。見ても、自分自身のことも含めて、そんなんで腹立てても困るんで(笑)。しかし、ヒドイ状況ですよね。

松井> ネットは、なにをどう信じたらいいのか、わからないし。それに、自分の考えに近い方にやっぱり関心が行くんですよね。

山崎> そうですね。

松井> それで、やっぱり、自分の関心のある方が正しいって思いこんじゃう。実際はどうなのか分からないにも関わらず…。情報を仕入れるのは構わないけれど、どう取捨選択するかが大事なところじゃないですかね。

山崎> めちゃめちゃな世の中やとつくづく思いますけどね…。あの頃は、なんだったんだろう? もうちょっとは普通だったなんて見方も可能かな。「昭和30年代、懐かしい」みたいなニュアンスで…。
でも、『追悼のざわめき』は、別に欺瞞を暴いているタイプの映画ではなくて、どっちかというと性的な…。たとえば…マネキンがいっぱい出てきますけど、あれ、最後までひとつのマネキンでやってるんですか?

松井> そうです。普通のマネキンの中古を、一体だけ安く買ってきて。

山崎> お金もないしね。

松井> (笑)

山崎> あれ役者さん、きれいな、きれいなっていうか、丸刈りのお兄さんの方ね。いや、丸刈りの人…、丸刈り。いっぱいいましたかね、あの当時は。なんか見てると。傷痍軍人のあの人らの、強烈な所為もあるけど、雰囲気が全体として戦後ですーって感じがすごくするんですよ。ところがそれがテーマではないんで、単に格好がそうだというだけでね。

松井> 当時、中高生は坊主頭が多かったですね。僕も中学の時は、坊主頭でした。

山崎> 中学は僕も丸刈りでした。今の人が見ると、戦後のイメージっていうのが、サブリミナル効果っていうのとはまた違うけど、主題と関係なく、そういう格好をいつもしているからね、そんな感じを受けますよね。で、朴正煕大統領の新聞記事とか、全体にこういうものがある。こないだJOJO広重(非常階段)とトークしてて、彼も年齢は似たりよったりでどうしてそうなんだろうって話が出た時に、それは僕らがまだ戦後に育っているからだと。だいぶ遅いんですよね、終結、敗戦から13年経って生まれてるわけだから。東京オリンピックを幼稚園の終わりのとき見て、多分ね、戦争の影響が「もはや戦後ではない」も含めて、なんか絶対それが残ってるんですよね。今の人はまた全然違うと思うけれども、原爆落とされて負けるというのは強烈ですから。僕、誕生日が9月2日やねんけど、よう子供ん時から自分は日本のの敗戦日に生まれたんや、言うて、いちびってましたけどね。戦艦ミズーリ号で調印した時が正式な敗戦ですから(笑)

松井> (笑)

山崎> あの頃の若者は、すべてが見えてるわけではもちろんないけど、ただ目先のことに突っ込んでって、おもろいことをやりたいということやったけれど。まだパワーがあったんだろうな、と思いますね。

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松井> 僕らの世代は、いわゆる映画でいうと、ATGで思春期を迎えて、僕にはその時の憧れの監督・大島渚さんだとかそういう方々がいた。やがて僕らが映画を撮りだす時には、少なくても僕は、高校時代に憧れていた監督たちをびっくりさせてやれ、という思いで、やってたんです。そしたら、皆さんがパワーに驚いた上に、褒めてくださった。石井聰亙さん(現・岳龍)もそうだったように思います。

山崎> 石井聰亙とは僕も昔、よお会うて『爆裂都市』には、一瞬やけど出演もしてるけど、最近ずっと会ってない。彼が確か、植木等さんとか倍賞美津子さんとかで撮った、あれがATGの最後ですか?

松井> 『逆噴射家族』ですね。ATGの最後かどうかは…、まぁ後期ですね。

山崎> 僕は映画ってそんな知らない、あんまなかったから、去年辺りから演劇とかも見に行ったり、映画とかも。

松井> 僕は、石井さんのスタッフをやってたんで、話をしていると「この人は、アクションのうまい監督さんをアッと言わせたいんやな」という欲求が僕には伝わって来ましたね。

山崎> そうなんですね。僕、工作舎の「遊」という雑誌をやってて、もうスタッフではなくなった頃のを見てたら「私が推薦する80年代の映画監督」、81年の雑誌だから、大島さんが石井聰亙を推してましたね。確かにそうだったんですよね。ただインタビューした時に彼は「自分は実は、そんなアクションじゃなくて川島雄三みたいなのをやりたい」と。内部の心理劇みたいな、それが『逆噴射家族』によく現れてて。ちょうどスターリンとかが出てきた時分で、そういう空気だったんですね。僕はその頃は町田(康)と半分住んでるような、大阪で。彼は新今宮高校だから、家は堺ですけどね。その頃、松井さんは関東に居はって、関西でロケをした。

松井> そうです。天王寺のはずれの昭和町に、男ばっかり、むさくるしいのが十何人、合宿してました。

山崎> 今はサッカー場もできたし、上手に健全な方向に。まぁ、この間も、同い年の根本敬と一緒に東京湾岸の遊覧船に乗っててね、「むかしは、東京もこんなんじゃなかったんだよね。全然きれいになってね。その猥雑さが単純に良かったんだ」とか言って、それってどうしたもんかなぁと考えるんですが。どうですか?「その猥雑さが良かった。それを出したい」。監督として、台本を書くときにそれを出したいというのはいいんですけど、それって、健全なのかな。どうなんやろ。平和ボケと言われるのかな。表現って…

松井> 「表現」。僕が思うのは、人が産まれて、育って、出会ってきたこととか、経験というか体験というか、そこで受けた感受性とか思考、そういったものすべてから発生したセンスが、自分が映画を撮りたいと思った時に「これは絵になる」と思わせてくれる。ですから『追悼のざわめき』も、自分が培って来たものが、自分のセンスになって「釜ヶ崎は絵になる」と思い込むんですね。それで脚本を書いて、絵コンテも描いて、共感してくれた人たちがスタッフをやってくれたり。…そういうところですかね。う~ん。言葉ではうまく言えない。

山崎> なんか、うまく言えないですよね。

松井> 「自分と合う」というかね。

山崎> あるいは「自分なら撮れる」。

松井> うん。そういうことかな。自分の感性やセンス、またそれらに裏打ちされた直感力やひらめき。街や人が持っているもの。それらすべてが噛み合うということですかね。

山崎> ビジョンが見えるということですよね。

松井> はい。それは同じ労務者の街でも、寿町でも山谷でもない。この映画では、釜ヶ崎なんです。

次回は、愈々というか、ついにというか、最終回になります。その更新日は、11月16日(月)夜を予定しております。さらにコア&レアな、充実した展開へと拡がります。ご期待ください。

 

【上映情報】
映画『追悼のざわめき』
日程 : 2015年12月5日(土)~12月11日(金)
タイムテーブル : 連日 20:30~
料金 : 前売り¥1,000- 当日¥1,500-
映画館 : 新宿・K’s cinema(東京)

【トークショー】
12月5日(土) 宮沢章夫(劇作家、演出家、小説家) × 松井良彦(映画監督)
12月9日(水) 森下くるみ(文筆家、女優) × 松井良彦
12月11日(金) 仲井まみ子(主演女優) × 松井良彦
※ 各日、上映後に催されます。

新宿・K’s cinema http://www.ks-cinema.com/
〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目35-13 3F TEL:03-3352-2471 FAX:03-3352-2472

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【告知!】山崎春美最新イベント情報
SHINDACO〜死んだ子の齢だけは数えておかねばならない80年代前半、日本の初期オルタナティブミュージックシーンの伝説「TACO」とその前身「ガセネタ」。
2015年11月17日、故・大里俊晴(1958~2009/音楽家、音楽批評家)の七回忌にコト寄せて。たくさんの死者たちとともに、三途の川っ縁を挟んでの壮絶にも一夜限りの宴を繰り広げる。題して略せばシンダコ!

★11/17(土)新宿ロフト
OPEN 18:00 / START 19:00
ADV¥3500 / DOOR¥4000
[発売] PIA・LAWSON・eplus・LOFT (Pコード:278-185 / Lコード:76998)
●TACO、ガセネタ
山崎春美、遠藤ミチロウ、戸川純、佐藤薫、成田宗弘、遠藤晶美、工藤冬里、松村正人、久下恵生、乾純、向島ゆり子、後飯塚僚、BANANA-UG、野々村文宏、香山リカ、長門洋平、渡邊未帆、西本早希、あゆみっくわぁるど、新大久保鷹
●A-MUSIK
竹田賢一、大熊ワタル、千野秀一、小山哲人、中尾勘二